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素敵な思い出を作って、とびきりの笑顔でお帰りいただくように!
霧ヶ峰・山彦谷
車山から北に進むと、霧ヶ峰高原の東端、緑豊かな「山彦谷」、お椀のような広い谷が殿城山、山彦谷南の耳・北の耳、大笹峰の稜線に囲まれています。
この稜線で、山スキーの遭難があったのは1959年2月のこと、絶好のスキー日和に恵まれて、ころぼっくる・ひゅってを出たパーティーは、天候の急変で2時間もしないうちに濃い霧に巻き込まれたのでした。霧ヶ峰高原の様な平坦なところで視界がきかなくなると方向感覚がなくなって危険なのです。
南の耳から山彦谷を見下ろすと、真っ白なスキー場の斜面が広がっています。 広葉樹や落葉松の森が伐採されてエコーバレースキー場がオープンしたのは1981年12月27日のことでした。今、緑豊かな山彦谷の自然は殿城山周辺や北の耳の東斜面に残されていて、そこにはツキノワグマ、カモシカ、ニホンジカ、アナグマ、キツネ、ノウサギ、リス、オコジョなどが棲息しています。
スキー場の下には個性的な宿が点在し、姫木平別荘地を経て大門川沿いのR152に出ます。
「山彦谷の源頭にたって風に吹かれていた。ぼうぼうと鳴る空に流されてゆく雲がそのまま影をおとしたカラマツの林の上に、六月午後の陽光がまぶしい波のようだ。
私たちは例年よりも育ちのおそいワラビやウドの採取の手を休めて腰をおろしていた。私たちの手につまれた山の香りが、若くかぐわしかったあの頃の、まずしい食膳を想い出させていた。
急峻な草付きをあえいでかついだこの谷からの、カラマツの枯れ木たちが、あの頃の私たちの冬をあたためたものだった。下界との繋がりを忘却のように絶っていた私たちのくらしの中で、この谷の山菜は宝のような糧だった。
私のカップに注ぐお茶の入ったテルモスをにぎるお前の手に。
斜陽をうけたお前のうなじの上に。
この谷の木々の年輪がそのまま刻みつけられている。
私は遠い浅間の山をみつめていた。
お前もまた遠い山に目を細めている。
そして、山桜の下であそぶ四歳と六ヶ月のソプラノを、
私たちは十年昔のあの頃と共に聞いていた。」
・・・・・・手塚宗求「山彦谷」1965
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